「人間とは言葉に表れる。」
何かの本で読んだ一節。
「35歳になって、好きなことやって、家庭壊して、一人ぼっちで格闘技やって、どうだお前ら、うらやましいだろう」
総合格闘家、青木真也選手の発言であるが的を得た発言やとは思う。
まあ、そんな私はというものの今田耕司ばりに結婚願望アリアリですが(笑)
個人的に、アメリカ合衆国のグラップラー/柔術家、ルオトロブラザーズの弟、ケイド・ルオトロ選手とのONE championshipでのグラップリング戦は一つの作品として完成されていると思っている。
結果は時間切れで判定となるが、勝者であるケイド・ルオトロ選手が落ち込んだ表情を見せ、対する敗者である青木真也選手がヘラヘラとした表情を見せている。
サブミッションを極めようとするも、青木真也はエスケープ、最後はケイドのバギーチョークで極めに行くが惜しくも時間切れで判定。
サブミッションを極めれず悔しさが出ていたのだろうと察する。
アラブのグラップリング競技ADCC出場選手ですからね、年齢も若いしこれからやいう選手が極める気満点で出場してんのに、こうも計画通りにいかんもんかねと、そら悔しいのだろう。
青木真也選手の策略通りになる。
これはシュールな光景を作った一つの劇場である。
話を戻そう。
人間とは言葉に表れると書いたが、今思えば柔術を始めるキッカケとなった言葉がある。
関節技に興味を持ち、体験として市内の柔術ジムに一日ジム見学をさせてもらった。
在籍選手によるグラップリングのスパーリング戦を観て面白そうだがこれは出来るかなというのが最初の感想で、悩んでいた。
家からジムまで距離もあるし、仕事もあるしでうーん。。
取り敢えず質問をした。
「家で一人の時にする技の練習とかはどうされてますか?」
という質問に対し、トレーナーはこう言う。
「そりゃ〜、ラブドールやろう。」
私は入会を決めた。
クソほどつまらん三又又三ばりの返しで場内は凍てついていたように思う。
今でも在籍選手の顔が引き攣っていたのを思い出す。
初めて来た見学者に言う言葉かね。
信用できる人間やと思い、取り敢えず行ける範囲で〜ということで柔術に触れる生活が始まった。
人間とは言葉に表れる。
いつまで続けれるのかはわからんが今でもライフスタイルとしてコツコツと続いているので、今のところはまあなんとか。
最近、TSUTAYAや古本屋で買ったもの。
良い買い物をした。
特に北野武の「孤独」が良い。
個人的に興味のあるフライデー襲撃事件や原付バイク事故、たけし軍団のことなど読んでいて面白い。
別でネット上ではあるがたけし軍団のメンバーが言うには特につまみ枝豆、ガダルカナル・タカは相当やばかったみたいですね。
ラッシャー板前はああ見えて元々柔道やってたみたいやし、本人たけしもボクシング経験者でみたいな(笑)
まあ、中にはフィクションもあるとは思っているので鵜呑みにはしてないが笑いとして見れば面白い。
最近のあれこれ。